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広島高等裁判所松江支部 平成5年(ラ)4号 決定

主文

本件抗告中競売開始決定に関する部分を却下する。

鳥取地方裁判所が平成四年(ケ)第五号、第一一号不動産競売事件について平成五年二月一七日にした売却許可決定を取り消す。相手方に対する別紙物件目録(一)及び同目録(二)の(4)記載の不動産の売却を許さない。

鳥取地方裁判所平成四年(ケ)第一一号不動産競売事件の競売手続は終了した。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「(一)鳥取地方裁判所が平成四年(ケ)第一一号不動産競売事件について平成四年三月一七日にした競売開始決定(以下「本件競売開始決定」という。)を取り消す。(二)同裁判所が平成四年(ケ)第五号、同第一一号不動産競売事件について平成五年二月一七日にした売却許可決定(以下「本件売却許可決定」という。)を取り消し、同決定にかかる競売不動産につき再評価を命ずる。」との裁判を求めるというにあり、その理由は、別紙抗告の理由記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

(一)  本件競売開始決定に対する抗告について

抗告人は、本件競売開始決定の取消しを求めているが、民事執行の手続に関する裁判に対しては、特別の定めがある場合に限り、執行抗告ができるものとされているところ(民事執行法第一〇条第一項)、競売開始決定に対する執行抗告を認めた規定はないから、本件競売開始決定の取消しを求める部分は不適法として却下を免れない。

(二)  本件売却許可決定に対する抗告について

まず抗告理由五について検討するに、所論は、要するに、本件競売開始決定を得るに当たつて執行裁判所に提出された登記簿謄本は、不動産工事先取特権保存の登記はあるが、所有権保存登記がなされていないものであつたから、民事執行法第一八一条第一項第三号所定の登記簿謄本には当たらないところ、本件競売開始決定はこのような登記簿謄本によつてなされた違法なものであるので、鳥取地方裁判所平成四年(ケ)第一一号不動産競売事件(以下「第一一号事件」という。)については「不動産競売の手続を開始又は続行すべきない事由」に該当する売却不許可事由がある、というにあると解される。

そこで検討を加えるに、記録によれば、以下の事実が認められる。

(1) 相手方は、平成四年三月一一日、鳥取地方裁判所に対し、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)について、それが抗告人の所有に属するとの前提のもとに、不動産工事先取特権(以下「本件先取特権」という。)を有するとして、抗告人を発注者とする平成二年七月五日締結の新築工事請負契約に基づく請負代金債権三億六一〇〇万円及び遅延損害金を被担保債権として担保権実行の申立てをし、第一一号事件として係属した。

相手方は、この申立てにおいて、別紙登記目録記載の不動産工事先取特権の保存登記(以下「本件先取特権保存登記」という。)のある登記簿の謄本(以下「本件登記簿」あるいは「本件登記簿謄本」という。)、被担保債権の存在に関する債務確認並びに弁済契約公正証書(執行文付与済み)の写し、及び本件建物が抗告人を発注者として建築工事がなされて平成二年一〇月三一日完了した旨の建築工事証明書(相手方作成)等を提出した。

鳥取地方裁判所は、本件登記簿謄本が民事執行法第一八一条第一項第三号所定の文書に当たるとして、同月一七日本件建物につき本件競売開始決定をした。

ところで、本件建物は平成二年九月ころ完成したが、前記競売申立当時はもちろん本件競売開始決定当時においても、表示登記及び所有権保存登記がなされていなかつたため、登記官は、執行裁判所からの差押登記嘱託を受けて、職権により、平成四年三月一九日本件登記簿に本件建物の表示登記及び抗告人を所有者とする所有権保存登記の記入をした。

(2) 相手方は、第一一号事件に先立つ同年一月二四日、鳥取地方裁判所に対し、抗告人ほか所有の別紙物件目録(二)記載の不動産について、根抵当権に基づき担保権実行としての競売申立をし、同裁判所平成四年(ケ)第五号不動産競売事件(以下「第五号事件」という。)として係属し、同裁判所は、同月三〇日上記不動産につき競売開始決定をした。

(3) 執行裁判所は、同年一二月九日、第五号事件の競売不動産である別紙物件目録(二)の(4)記載の土地(以下「本件土地」という。)と第一一号事件の競売不動産である本件建物とを一括して売却する決定をし、ついで期間入札を実施し、平成五年二月一七日の売却決定日に最高価買受申出をした相手方に対し本件売却許可決定をした。

ところで、不動産を目的とする担保権の実行としての競売(不動産競売)は、一般先取特権に基づく場合を除き、民事執行法第一八一条第一項第一ないし第三号所定の文書(以下「法定文書」という。)が提出されたときに限り、開始できるのであるが、不動産工事先取特権保存登記のみが記載され、未だ表示登記がなされていない登記簿の謄本は法定文書(三号文書)に該当しないものと解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

(1) 民事執行法第一八一条第一項第三号は、「担保権の登記(仮登記を除く。)のされている登記簿の謄本」と規定しているだけであるから、本件不動産工事先取特権の保存登記(これは、登記の種別からいえば、仮登記ではなく本登記である。)のされている登記簿の謄本である本件登記簿謄本が法定文書(三号文書)に該当すると解することに何の疑問もないように思われないではない。

(2) しかし、不動産に対する民事上の担保物権が有効に成立するためには、担保の目的物である不動産の存在を必須とするのであるから、たとえば、将来成立する予定の不動産を目的物とする担保物権設定契約--新築予定建物についての抵当権設定契約--は、ただ債権契約あるいは停止条件付担保物権設定契約として有効であるにすぎず、この設定契約に基づく担保物権はあくまでもその目的物が不動産として成立して初めて有効に成立することになるものと解される。

このことは不動産工事先取特権についても同様であつて、この先取特権は民法三三八条により工事に着手する前に登記がなされなければならないものとされ、不動産登記法上、建物新築の場合の不動産工事先取特権の保存登記については、未だ当該建物が不動産として存在していない段階において登記が認められているのであるが(同法第一三六条、第一三七条。なお、不動産登記法上、未だ不動産として存在していない段階において担保物権に関する登記が認められるのは、建物新築についての不動産工事先取特権が唯一の例外である。)、建物新築工事の前に不動産工事先取特権保存登記をしても、これは将来の建物の完成とともにその建物の上に適法に行使できる先取特権を保全する趣旨のものにすぎないのであつて、その登記のときに先取特権が成立するものではないのである。

(3) ところで、一般に、担保権を実行するためには、実体法上は担保権及び被担保債権の存在、被担保債権についての履行期の到来を必要とするのであるが、民事執行法第一八一条第一項及び第三項は、不動産競売につき、担保権の存在の証明に関する法定文書が提出された場合に、そしてこの場合に限つて執行裁判所に競売開始決定をすることを命じ、担保権の存在の証明に関してはただその承継があつた場合に限つてその承継の事実を他の文書によつて証明することを許すものとするとともに、他の担保権実行要件の存在についてはその証明を要求していない。この法意は、簡易迅速な競売手続の実現を図るため、不動産競売が担保権に内在する換価権能に基づくものであることに着目し、担保権の存在のみを法定文書によつて証明することを要するとともに、担保権の存在については、その承継があつた場合を別として、法定文書以外の方法による証明を一切許さないものとするにあり、なお、担保権の不存在を含む担保権実行の要件の不存在による不当競売は、競売開始決定後の所有者等からの執行異議の申立て(民事執行法第一八二条)の審理を通じて是正されることを予定しているものと解される。

したがつて、法定文書であるためには、担保権の承継があつた場合にその証明をする場合を別として、それ自体によつて特定の不動産について担保権が存在し(すなわち、担保権が既発生であること)、かつ、その担保権者が競売申立人であることが判明するものであることが当然の前提とされているものといわなければならない。

そして、不動産登記法上、建物新築の場合の不動産工事先取特権の保存登記の場合を除いては、担保権の登記は常に所有権保存登記がなされている登記簿についてなされるのであり、このような所有権保存登記及び担保権の登記された登記簿の謄本が、それ自体によつて上記事項を証明しうるものであることはいうまでもない。

(4) ところが、たとえば新築予定建物についての抵当権設定契約を内容とする公正証書の謄本は、せいぜいでも新築予定建物が完成した暁には債権者が抵当権を取得しうることを証明するに止まり、それ自体によつて特定の建物について債権者のために抵当権が存在すること(抵当権が既発生であること)を証明するものではなく(したがつて、前記説示に照らし、法定文書(二号書面)には当たらないものというべきである。)、同様に、建物新築の場合に不動産工事先取特権保存登記のみが記載され、未だ表示登記すらなされていない登記簿の謄本は、新築予定建物が完成したときには請負人が完成した建物につき先取特権を取得することを証明するに止まり、表示登記もされていないのであるから、当該建物の完成を知り得ないばかりか、むしろ当該建物の未完成を推測させるので(不動産登記法一三九条第一項本文参照)、それ自体によつて特定の建物について請負人のために先取特権が存在すること(先取特権が既に発生していること)を証明するものではないといわざるを得ない。

そして、このことは、結局において、建物新築工事の前に不動産工事先取特権保存登記をしても、これは将来の建物の完成とともにその建物の上に適法に行使できる先取特権を保全する趣旨のものにすぎないから(その意味では、この場合の不動産工事先取特権保存登記は形式的には本登記であるが、実質的には仮登記のようなものであるといえる。)、その建物が完成したときに、更にその建物について少なくとも表示登記がなされなければ、(建物新築に関する不動産工事先取特権は、請負人が請負契約に基づいて建物を完成させることによつて当該建物の上に法律上当然に発生する担保権であるから--民法第三〇三条、第三二五条、第三二七条参照--、当該建物が完成したことを示す表示登記で足りると解される。)、未だその完成した現存の建物について先取特権の登記がなされたことにはならない(大判昭和一二年一二月一四日民集一六巻一八四三頁参照)、ということにほかならないのである。

以上によれば、民事執行法第一八一条第一項第三号は、担保権の登記に先立つて表示登記及び所有権保存登記がなされるごく通常の場合を念頭において「担保権の登記(仮登記を除く。)のされている登記簿の謄本」と規定したにすぎず、建物新築の場合の不動産工事先取特権の保存登記の場合のように、その保存登記に先立つて表示登記も所有権保存登記もなされない場合においては、少なくとも不動産工事先取特権保存登記及び表示登記がなされた登記簿の謄本でなければ、同号所定の「登記簿の謄本」ということはできないものと解される。

したがつて、本件登記簿謄本は法定文書(三号文書)に当たらず、第一一号事件の競売申立については法定文書の提出がなかつたことになるから、そもそも競売開始決定をすることができない場合であつたことになるので、第一一号事件に関しては、民事執行法第七一条第一号の「不動産競売の手続を開始すべきでないこと」に該当する売却不許可事由があることになり、本件売却許可決定中第一一号事件に関する部分は取消しを免れない。

なお、本件登記簿には、本件建物についての本件競売開始決定に伴つて執行裁判所からなされた差押登記の嘱託により、登記官の職権で表示登記及び所有権保存登記の記入が既になされているのであるが、このことによつて本件競売開始決定が法定文書の提出がないのになされたことによる瑕疵が治癒されるものでないことはいうまでもない。

そして、本件売却許可決定は、第一一号事件の目的不動産である本件建物と第五号事件の目的不動産である本件土地との一括売却手続においてなされた買受申出に対し、これを許可する決定であるから、本件売却許可決定中第一一号事件に関する部分が取り消されるべきものである以上、本件売却決定にかかる競売手続には、結果的に一括して売却すべきでない競売不動産を一括して売却した誤りがあつたことになるから、「一括売却の決定又はその手続に重大な誤りがあつた」(同条六号)ものというほかなく、本件売却許可決定中その余の部分も取消しを免れない。

したがつて、その余の抗告理由について判断を加えるまでもなく、本件売却許可決定の取消しを求める本件抗告は理由がある。そして、第一一号事件の競売申立に対しては、法定文書の提出がないためそもそも競売開始決定ができなかつた場合であるから、売却不許可決定により当然に同事件の競売手続は終了する関係にあるので、その旨を明確にする趣旨で主文をもつて同事件の競売手続が終了したことを宣言するのが相当であると考える(なお、抗告人は、執行裁判所が決定した最低売却価格を不満として売却対象となつた不動産についての評価の再施を命ずるよう求める旨の申立てもしているが、執行裁判所のした最低売却価格決定やその基礎となつた評価に対する執行抗告は許されていないから、このような申立ては不適法であることが明らかである。)。

三  よつて、本件抗告中本件競売開始決定に関する部分を却下し、本件売却許可決定を取り消して相手方に対する本件売却を不許可とし、併せて第一一号事件の競売手続の終了を宣言することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 渡辺安一 裁判官 長門栄吉)

《当事者》

抗告人 甲野商事有限会社

代表者代表取締役 甲野太郎

代理人弁護士 前田 修

相手方 株式会社 乙山工務店

代表者代表取締役 乙山春夫

代理人弁護士 田村康明

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